イタリア車はどこが違うの?
●イタリア車が日本車と大きく違うところ
まず、車を運転していると、常に車を意識するようになります。 日本車がどんどん白物家電化していき、快適にという目標のもと運転していても車の存在そのものを意識させないようにしていくなかで、イタリア車はその存在をアピールしてきます。 エンジンの存在、シャシーの存在、タイヤの存在、全てのパーツが機能して車が動いているんだという存在感。 またドライバーが積極的に運転に関与しないとイタリア車は速くスムーズに走らせることができません。 日本車のインプレッションでよく「運転がうまくなったような」という表現がありますが、あれはドライバーの未熟な部分をコンピューターと機械が補ってくれているのです。 車そのもを理解しないと上手くイタリア車とは付き合っていけません。 しかし理解するにしたがって、あなたの心の中にイタリア車は入り込んでくるのです。
●なぜ、同じ工業製品なのに
それでは、イタリア車は運転していてなぜそれほど車を意識させるのでしょうか? 同じような工場で同じように組み立てているはずです。 設計が大きく違うということもないはずです。 最終的には自動車を作る人達の考え方の違いでしょう。 やはり自動車の文化そのもが違うからだと思います。 自動車はもともとヨーロッパで生まれたもので、イタリア・フランス・ドイツ・イギリスと国によって特徴があります。 それがまたおもしろいのですが、日本では残念ながら、単なる移動手段の機械として壊れないように、使い勝手がよいように、などばかりに重点が置かれ、文化としての発展がなかったように思います。 だから乗り味などの感性に訴えかける部分がないのかもしれません。
●イタリア車のデザイン
ヨーロッパと日本では根本的なデザインに対する意識が違います。 美しいと感じるものも違うでしょう。 一番大きな違いは子供の時からの美術教育でしょうか。 美意識の違う人種がいくらまねをしようとしてもまねはできません。 イタリア車には彫刻的な美しさがあります。 これは四角いデザイン、丸いデザインということとは関係がありません。 内からみなぎる力を感じます。 日本車は表面をただ造形として作ったという感じがします。 これはどちらが良い悪いの問題ではなく、それぞれの民族が持っている造形意識の違いだと思います。 また日本車は大衆車であれば極力無難な形にして目立たなくしますが、イタリア車は大衆車であろうが個性があります。 これも国民性の違いでしょう。
またイタリアでは戦前から数々のカロッツェリアが独自の美しいボディを製作してきたことも、日本車の歴史とは大きく異なる点です。 昔はそれは超お金持ちのためのものでしたが、現在もその伝統は受け継がれており、イタリア車を語るときにカロッツェリアの存在は避けて通ることはできません。 世界の自動車デザインをリードしてきたのはイタリアのカロッツェリア(とりわけピニンファリーナ)と言っても過言ではないのです。(アメリカも時代によっては多大な影響力を及ぼしていますが) このようなところがまさにイタリア車のデザインを魅力的なものにしている点でしょう。 イタリア車を見たときに誰もが、何か違うなと感じるはずです。
●メンテナンス
イタリア車は日本車に比べるとやはり手がかかります。 それはデザインと一緒ですが、機械に対する意識の違いからくるのかもしれません。 それは作る側、使う側双方です。 日本では均一な品質を保つことに神経を使います。 イタリアでももちろん品質を保つよう努力はしているでしょうが、多少はばらつきがあります。 イタリア人はちょっとくらい故障しても、機械は壊れるものと思っているのであまり気にしません。 日本人には機械は壊れないという意識が強くあります。 またイタリアと日本の気候の違い、交通環境の違いもあります。 でも機械は壊れないにこしたことはありません。 イタリア車もやたらめったら故障するわけではありません。 調子が悪くなるまで置いておくから故障するのです。 定期的にみてあげればいいのです。 要は自分の持ち物に愛着を持って接してあげればいいのです。 その点、日本車はよくできています。 調子が悪くなりはじめてお金がかかるようになってきたら、ちょうど買い換え時です。 買い換えてくれないとメーカーは車が売れないので大変です。 イタリアでは逆に修理工場がたくさんあります。 一度買ったらとことん乗ります。 長いスパンで見ると結局かかる費用は一緒かもしれません。 要は自分がお金を出して買った物に対する考え方ひとつです。 メンテナンスのポイントとしてはタイミングベルトやテンショナーの定期的な交換や電気系が弱いなどありますが、これらは乗りながら身につけていけばよいことです。 故障するからといって(これも一昔前までの話)乗らずにいれば、それと引き替えに素晴らしい体験を逃すことになります。
●人との付き合いに例えれば
少々乱暴ですが、イタリア車との付き合いを人に例えると、恋人との付き合いに似ています。 いつまでも一緒にいたい、愛おしく思う、全てを受け入れたくなる、時々裏切られる、時には疲れて別れようかと思う、でも許してしまう。 ちょっと極端ですかね。 今のイタリア車はここまでのことはありません。 でも、好きな恋人ができると他の人と比べたりしないでしょう。 イタリア車はまさにそうです。 それが高い車でも安い車でも、他の車と比べなくなります。 その車が好きになるからです。 その代わり、他人の趣味が理解できなくなるのも恋愛に似ていますかね。